文系海外大学院を目指す人

海外大学院志望のwebライター

19歳の学生がいきなり海外に飛び込んだ結果。PART5

 

ついに着きました。オーストラリアのパース。

 

 

ここから新しい生活が始まるんだと思うと、ワクワクが止まりませんでした。

 

 

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少し不安はありましたけどね。

 

 

全く知らない土地でしたし、知ってる人もいませんでしたから。

 

 

 

 

前回の記事には書きましたが、パースに着いたのは午前の1時、真夜中だったんですね。

 

 

 

 

 

空港でタクシー会社の人と無事に合流でき、いよいよホームステイの家族と対面する時が迫っていました。

 

 

 

 

で、車の中で運転手の女性と話していたのですが、全然上手いこと喋れませんでした。

 

 

 

なのでその時点でけっこう不安になりました。

 

 

こんなんでホームステイ先の家族と意思疎通ができるんかな?って。

 

 

 

 

この不安は後々無駄だったことが分かるんですが、それは後で書きますね。

 

 

 

 

軽く運転手の女性と言葉を交わし、真っ暗な道を進んでいると、車が住宅地の途中で止まりました。

 

 

 

到着です。

 

 

 

暗かったのでよくわかりませんでしたが、場所は静かな住宅地。

 

 

 

そして、ここがあなたのホームステイ先よ。と言われました。

 

 

 

その時点でまず思ったのは、

 

 

 

 

 

家めっちゃデカイ、、、

 

 

 

 

真っ暗闇でもわかりました。

 

 

見た目は少し古い感じですが、

 

 

とにかく広い。

 

 

日本の一軒家とは比べ物にならないほどでした。

 

 

 

でも後でわかったんですが、オーストラリアでは割と普通みたいです。

 

 

 

当たり前ですね。土地の面積が桁違いですから。(笑)

 

 

 

加えて、僕のホームステイ先は中心街から少し離れていたので、そういった大きい家が多かったようです。

 

 

 

到着した後、ドライバーさんは

 

See ya!   (またね!)

 

 

 

と言ってさっさと帰ってしまいました。

 

心臓をバクバクさせながらインターホンを押しました。

 

 

ドアがガチャっと開いた瞬間、

 

 

 

びっくりしました。

 

 

 

 

大男が出てきたのです。

 

 

 

2メートルくらいはあります。

 

 

 

 

一瞬ポカンとしてしまいました。

 

 

 

しかしその後、彼は笑顔で

 

 

 

Hi man, How are you ? 

(やぁ、調子はどうだい?)

 

 

 

と言って言葉をかけてくれました。

 

 

 

僕はガッチガチの英語で

 

 

 

Fine.

 

 

 

と一言で片付けてしまいました。

 

 

うわ。どうしよう。なにを話したらいいんだろう。

お邪魔しますって英語でなんていうんや、、とか考えて、

 

 

 

プチパニックに陥ってしまいましたね。

しょっぱなから。(笑)

 

 

 

そして、家に入るとすぐ右の部屋に彼は入って行きました。

 

 

どうやら、僕の部屋のようです。

 

 

入った瞬間思いました。

 

 

 

広っ!!!!!

 

 

 

家はもちろん、部屋もビックリするくらいの広さでした。

 

 

 

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みません、僕の顔がデカくて部屋の広さがあまり伝わらないかもしれません。

 

 

 

でも部屋にはソファー、デスク、ベッドがあり、僕にとって十分すぎる環境でした。

 

 

 

そして何より衝撃的だったのが、

 

 

 

 

 

暖炉があったんです。(笑)

 

 

 

 

ビックリしません?

 

 

 

 

家にある暖炉なんて映画やドラマでしか見たことがなかったので、本当に驚きました。

 

 

 

後から聞いたのですが、この暖炉はあるだけでもう機能しないそうですが。(笑)

 

 

 

 

そして、彼はリビングの方に向かっていったので、私もついていきました。

 

 

 

彼は言いました。

 

 

 

「疲れた?台風が大変だったね。」と。

 

 

 

 

なんとなく単語を拾ってなんとか理解できたのですが、

 

めっちゃいい人だ、、

 

 

 

 

と思いました。

 

 

 

 

僕はまたカタコトの英語で

 

 

 

「ありがとう。急な変更でごめんなさい。」

 

 

 

みたいなことを確か言ったと思います。

 

 

 

元々はお昼の時間帯に着く予定だったので、そう考えれば柔軟に対応してくれたファミリーはとても優しい人だと思いました。

 

 

 

 

 

 

話に戻ります。

 

 

 

 

そして、暗闇の中、リビングらしきところに行くと、電気がつきました。

 

 

 

 

やっぱ、この人デカイ、、、

 

 

 

2メートル以上あります。確実に。

 

 

 

ですが、彼の顔を見た瞬間わかりました。

 

 

 

めっちゃ若いんです。

 

 

多分僕と同じくらい。

 

恐る恐る年を聞いてみたら、彼は20歳でした。

 

 

 

当時僕は19歳だったので、それを聞いた、途端急な親近感が湧きました。

 

 

 

年齢が近いだけでこれほどにも安心するんですね。(笑)

 

 

 

そして、彼は巨大な冷蔵庫を開け、

 

 

 

ここにパン(食パンなのですが、日本の食パンよりめっちゃ薄く、量がありました)が入っているから、朝自由にとって食べていいよ。 

 

 

 

と説明してくれました。

 

 

 

セルフ朝ごはんです。

 

 

加えて彼は、

 

 

 

その横にピーナッツバター、ジャム、バター、コーヒー、紅茶、緑茶があるから、それも自由に使っていいよ。

 

 

 

と説明してくれました。

 

 

 

最高やん、、しかも緑茶あるなんて🍵

 

 

 

 

ビックリしたのが、それ日本の緑茶なんですよね笑

 

 

 

パックに入ってあるやつ。表記もしっかり日本語でした。

 

 

 

 

そして一通り説明が終わった後、彼は、

 

 

 

 

 

今日は疲れているだろうから、ゆっくり寝て!

詳しいことは明日説明するよ!

 

 

 

といい、じゃあね、という感じで違う部屋に去っていきました。

 

 

 

 

意外とあっさりしてましたね。(笑)

 

まあ時間も時間だったので、彼も疲れていたのだと思います。

 

 

 

 

そして僕はベッドに入り、眠りました。

 

自分どこでも寝れる性格なので、そこは良かったかなと思います。

 

 

 

 

で、ここで疑問に思った方もいると思います。

 

 

 

 

20歳の大男が1人で住んでいるの?ファミリーはそれだけ?と。

 

 

 

 

翌日わかるのですが、僕のホストファミリーはその彼と、彼の母親ということでした。

 

 

 

親子2人で暮らしているようですね。

 

 

 

彼の母親とは明日の朝出会う事になるのですが、それは次回に書いていこうと思います。

 

 

 

 

もしかしたら今日投稿するかもしれません。

 

 

 

 

今回も読んでいただき、ありがとうございます。

 

 

 

 

 

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19歳の学生がいきなり海外に飛び込んだ結果。PART4

出発できないじゃん。。どうしよう。

 

 

出発前から、トラブルで大変でした。

 

 

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中部国際空港



 

こんにちは。ハタチの大学生です。

 

 

 

今日2回目の投稿になります。昨日も2回投稿しましたが(笑)

 

 

 

 

今回はいよいよ留学先のオーストラリアに出発する時のお話を書いていこうと思います。

 

 

 

 

94日。出発まで10日を切りました。

 

 

 

 

ワクワクとドキドキが止まりませんでした。夜も眠れないくらい。(笑)

 

 

 

そんな中、トラブルは急に起こりました。

 

 

 

 

台風と大雨が近畿地方を直撃し、なんと出発地である関西国際空港が水没してしまったのです。

 

 

 

出発出来ない。。。どうしよう。。

 

 

 

 

本気でピンチでした。もう航空券は買ってありましたし。どうすれば良いか全く分からなかった。

 

 

 

 

出発前から心配はしていたのですが、まさかそれが現実になってしまうとは思っても見ませんでした。

 

 

 

うろたえてると、一本の電話がありました。

 

 

 

 

留学エージェント会社さんからでした。

 

 

 

電話に出ると、すぐに違う飛行機を手配しくれるとの事。

 

 

 

本当に助かりました。

 

 

 

出発地は関西国際空港から中部国際空港に変更され、日にちも1日遅れることになりましたが、なんとか出発出来る、とのことだったのです。

 

 

 

本当に助かりました。こんな時にエージェントさんは頼りになりますね。ありがとうございました。

 

 

 

 

その後は、ホームステイ先に事情を説明したり、空港で迎えてくれるタクシー会社に連絡したりと、色々大変でしたが、なんとかなりました。

 

 

 

 

心の底からホッとしましたね。(笑)

 

 

 

 

まさか留学する前にこんなトラブルに巻き込まれるなんておもってもみませんでしたから。

 

 

 

 

でも、こういう時にどれほどの冷静で対応できるか、というのは大切ですね。

 

 

 

 

 

その時の僕は全くできていませんでしたが。(笑)

 

 

 

 

 

それに比べてエージェントさんはやはりすごいと思いました。

プロとはこういうことなんですね。

 

 

 

 

ここでも学ぶことがいくつかあり、今後に活かせるような経験が出来ました。

 

 

 

 

 

 

物事は思い通りにいかないものですね。(笑)

 

 

 

 

そして、出発初日、中部国際空港でまたまたトラブルが発生しました。

 

 

 

それは、

 

 

 

荷物超過。

 

 

 

飛行機を予約して、同時に荷物制限されていたのですが、5キロほどオーバーしてしまったのです。

 

 

 

幸いチェックインする前に分かったものですから、両親に頼んで、

 

 

 

 

ごめん!これとこれとあれ家に持って帰って!!

 

 

と無理を言って頼みました。

 

 

 

 

ざわざ関西から中部国際空港まで車で見送りに来てくれたので、助かりました。

 

 

 

今思い返すと、その時僕、バカみたいに靴を持って行ってたんですね。

 

 

 

絶対いらんやろ。っていうくらい。(笑)

 

 

 

多分7足くらいあったかな?

 

 

靴が多すぎるせいだというのは見て明らかでした。(笑)

 

 

 

この後両親にも多すぎ!とつっこまれました(笑)

 

 

 

そんなわけで、トラブルも続きましたが、無事に日本を出国することができました。

 

 

 

飛行時間は合計で11時間くらいだったでしょうか。

 

 

 

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チャンギ国際空港

 

シンガポールで乗り継ぎをし、

 

 

 

 

深夜の1時ごろ、

 

 

 

 

ついに。着きました。オーストラリアのパース。

 

 

 

 

もう深夜なのにドキドキとワクワクが止まりませんでしたね。

 

 

 

 

この後ホームステイ先のファミリーと出会うのですが、その話はまた明日書いていこうと思います。

 

 

 

 

今日も読んでいただいてありがとうございました。

 

 

 

 

皆さん、良い休日をお過ごしください。

 

 

留学前に4年間付き合った彼女と別れた話。

その日からは、地獄の日々の始まりでした。

 

 

 

こんなにも辛く、苦しいことがあるのかというくらい。

 

 

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こんにちは。ハタチの大学生です。

 

 

今日はアルバイトが早く終わったので、近くの静かなカフェでのんびり書いています。

 

 

さて、前回までは留学のことについて投稿していました。

 

 

今回もその続きを書こうと思っていたのですが、同じ話題についてずっと書くのも退屈なので、少し話題を変えようと思います。

 

 

誰得やねん。。て感じの話題ですが。(笑)

 

 

もし興味のある方、最後まで読んでいただけると嬉しいです。

 

 

 

留学出発1ヶ月前のこと。僕は高校時代から4年間付き合っていた彼女と別れました。

 

ここで、多くの人に聞かれます。

 

 

『留学に行くから別れたの?』 と。

 

 

 

 

違うんです。

 

 

まあ、出発の直前に別れたので、そう思われるのも無理はありませんね。

 

 

もっと理由は単純です。

 

 

僕が振られただけです。(笑)

 

 

 

僕たちは高校1年生の時に出会いました。同じ高校に通っており、同じクラスでした。

 

 

 

ある日、体育祭のあとの打ち上げ(みんなでご飯を食べに行く)をした時、たまたま席が隣になり、連絡先を交換しました。

 

 

 

その日からだんだん仲良くなり、

 

 

数日後、彼女から告白されました。

 

 

 

僕もその時は彼女に好意を寄せたいたので、快くOKさせてもらいました。

 

いや男のお前から告白しろよ!なんて突っ込まれそうですが。(笑)

 

 

 

まあ、結果オーライです。

 

 

 

当時、僕には彼女ができたことはありませんでした。なので、その人は僕の初めての彼女だったんですね。

 

 

 

なので、新鮮な気持ちもありましたし、何より彼女ができてすごく嬉しかったのを覚えています。

 

 

 

その後は本当に楽しい時を過ごしました。

 

 

 

一緒に買い物に行ったり、映画を見たり、海に行ったり。

ありきたりな学生カップルって感じですね。

 

 

たまに喧嘩もしましたが、今思えば少ない方だったかな。

 

 

 

好きで好きで仕方なかったですね。なんかこんなこと言うのも

小っ恥ずかしいですけど。(笑)

 

 

ちなみに、なんで俺を好きになってくれたの?と彼女に聞きました。すると、彼女はこう答えました。

 

 

 

『体育祭のリレーでカッコ良かったから。』

 

 

 

いかにも学生らしい理由ですね。(笑)

 

 

 

でも言われた時は嬉しかったです。素直に。ありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、告白された日から4年の月日が流れました。

 

 

 

気づけば僕は大学生、彼女は専門学生となっていました。あっという間ですね。

 

 

彼女は専門学生ということもあり、自分の進路についてもしっかり考えていました。

 

 

そして、僕は、留学をしたい。と思うようになりました。

 

 

 

ここで、お互いの間に明確な価値観の違いや考え方の違いが現れたんですね。

 

 

 

あ、先に言っておきますが、彼女がなんで僕を振ったか、その理由は僕自身よくわかっていません。

 

 

心当たりはあるんですけどね。でもその理由が絶対原因だ! と言い切ることはできないのです。

 

 

 

ホントこの辺り鈍いですよね。(笑)

 

 

 

そしてある時期から、彼女にこう言われました。

 

 

 

 

『あなたのことを好きかどうかわからない。』

 

 

 

 

ショックでした。今まで一度も言われたことがなく、また、その理由もわかりませんでしたから。

 

 

 

その瞬間、経験したことのない不安と悲しみに襲われました。

 

 

 

もうこの人は、自分から離れていくのかもしれない。

 

 

 

そう考えると、たまりませんでした。

 

 

 

その後、僕はなんとか彼女をひき止めようとしました。

 

 

1ヶ月チャンスをくれ。その間にまた好きになってもらうように頑張るから。

 

 

今考えると、バカなことをしていました。相手から好きじゃないと言われたその瞬間から、もう相手は僕のことに興味がないのですから。

 

 

 

その時の僕は完全に自分のことしか考えていなかったですね。

 

 

 

 

 

結果は、やはり無駄でした。

 

 

 

 

『もう、別れたい。』

 

 

 

そう言われました。

 

 

 

あ、もうダメなんだと。もう、終わりなんだ。

 

 

 

その時は、電話で別れを告げられました。

 

 

 

正直その時のことはよく覚えていません。ショックが大きすぎて。(笑)

 

 

 

ただ、その夜は眠れませんでした。泣きました。これでもかと言うくらい。

 

 

 

 

別れるのも初めてでしたから、余計にショックが大きかったのかもしれないですね。

 

 

 

その日からは、地獄の始まりでした。

 

 

 

死ぬほど辛く、苦しく、悲しい日々が続きました。

 

 

 

 

忘れようと思っても、忘れられないのです。

 

 

 

常に、その人のことを考えてしまうのです。

 

 

 

男のくせにメソメソすんな!て感じですね。(笑)

 

 

 

しばらくは真っ暗闇でした。盲目になったような感じかな。

来月には留学が控えているのに。

 

 

 

何もできない。何もわからない。

 

 

 

うまくは言えないのですが、当時はそのような気持ちでした。

 

 

 

必死に助けを求めました。

 

 

 

すると、そこに女神が舞い降りたのです。

 

 

 

 

 

それは、僕のお母さんです。

 

 

 

 

 

母に相談しました。どうすればいい?と。

 

 

 

母はこう言いました。

 

 

 

 

 

 

 

『辛いね。死ぬほど辛いよね。でも今は、その苦しみに必死で耐えるしかないんだよ。』

 

『終わりの見えない悲しみだけど。 でも、大丈夫。同じ状況は続かないから。いつかお別れして良かったと思える日が必ず来るんだよ。』

 

 

 

 

 

 

 

僕は母のこの言葉に、どれほど救われたでしょうか。

 

 

 

はじめに聞いた時は、この苦しい気持ちが消える日なんて来るのだろうか。別れて良かったと思える日なんて来るのだろうか。

 

 

 

と、疑わしい気持ちでいました。

 

 

 

 

ただ、もう、終わってしまったことなんです。

 

 

 

前を向いて、自分の人生を必死に生きていくしかないんです。

 

 

 

 

大げさな(笑) なんて思う方もいらっしゃるかもしれません。

 

 

 

でも当時の僕はこう思うしかなかったんですね。(笑)

 

とにかく生きることに必死でした。

 

 

 

 

そう言われた後は、とにかく自分ができることを淡々とやっていきました。

 

 

 

でも、毎日思い出してしまうんですね。彼女のこと。その時はやはりしんどかったですが。(笑)

 

 

 

 

また、こう考えるようにもなりました。

 

 

 

 

 

自分はもうすぐ留学する。新しいことに挑戦する。もしかしたら、切り替えるいいチャンスかもしれない。と。

 

 

神様が与えてくれたチャンスだ。とさえ、思うようになりました。

 

 

 

そう考えれば、自分は機会(チャンス)に恵まれていましたね。

 

 

 

 

ポジティブな自分になりつつあったのです。

 

 

 

 

 

しかし、現実は甘くはありませんでした。

 

 

 

留学先でも考えてしまうんです。どうしても。

 

これだけは予想外でしたね。(笑)

 

 

環境を変えればすぐ切り替えられると思っていたので。その辺は浅はかでした。(笑)

 

 

 

 

で、この後に留学先で運命の出会いをするのですが、それはまた今度の記事で書いていこうと思います。

 

 

 

また、母にこう言われました。

 

 

 

『本当に相手を想っているのなら、その人のしたいようにしてあげないといけない。

たとえそれが、自分にとってどんなに辛い選択でも。』

 

 

 

息子の僕が言うのもなんですが、名言だと思います。(笑)

 

 

 

でも、そんなこと、難しすぎますよね。単純に。

人って、どうしても自分のことや気持ちを優先してしまいがちだと思うんです。

 

 

 

 

でも相手のことを考えて、想って、行動しなければいけない。

 

 

 

やっぱり、難しいです。(笑)

 

 

 

母の言葉に疑問を抱く方もいらっしゃるかもしれません。ただ、今の僕はこの言葉を信じていこうと思います。

 

 

 

 

 

彼女(元カノ)には色々な経験もさせてもらいましたし、楽しい時間を過ごさせてもらいました。とても優しい人でしたしね。

 

 

 

 

今は、それだけで感謝します。ありがとう。

 

 

 

今でも直接メッセージを送ることはできませんけどね。あの日以来連絡はとっていませんから。

 

 

 

幸せになってもらいたいと心から願っています。

 

 

 

 

 

 

 

今、誰かとお別れして、辛い思いをしている方、悲しい思いをしている方、いらっしゃいますか?

 

 

 

今は本当に辛いと思います。

 

 

 

 

いや、正確には僕にあなたの気持ちはわかりませんが。

 

 

 

その人の苦しみや悲しみはその人にしかわかりませんから。

 

 

 

 

ただ、頑張ってください。耐えてください。今はそれくらいしかできないと思います。

 

 

 

 

そして、いつか来る、貴方が幸せになる日を待ってください。

 

 

 

 

 

 

 

また、僕は別れたことについて、多くの人に相談し、救われました。

 

 

 

ぜひ、貴方の周りにいる人を頼ってみてください。

 

 

 

 

意外なところから出口は見えるかもしれません。僕の場合は母に救われましたが(笑)

 

母さん、ありがとう。

 

 

 

 

もし誰もいなければ、ぜひ僕に相談してください。

まあ、そんなことはないと思いますが(笑)

 

 

 

この記事を読んでいただいている、全ての人が幸せというのに越したことはないですからね。

 

 

 

先ほども書きましたが、留学先で僕の人生に大きな影響を与えた、運命の人と出会います。それについては、また今度ゆっくり書いていきますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先週で別れてから1年が経ちました。

 

 

 

 

同時に、今月末は彼女の誕生日でもあります。

 

 

 

これからもずっと、お幸せに。ありがとう。

 

 

 

 

最後まで読んでいただいた方、途中まで読んでいただいた方も、ありがとうございました。

 

 

 

次回は、留学についての続きを書いていこうと思います!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

19歳の学生がいきなり海外に飛び込んだ結果。PART3

よし、オーストラリアに行こう。

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オーストラリア(パース)

 

 

こんにちは。ハタチの大学生です。

 

今日2つ目の投稿です。

 

さっきアルバイトに行ったら、今日君入ってないよ。って言われてしまい。

やることが無くなったので、のんびり書いていきます。

 

 

前回は、留学について思ったことなどを書いていきました。今回は、なぜ僕がオーストラリアに行ったのかということを中心に書いていこうと思います。

 

 

 

一文目に思いっきり書いてあるんですけどね。(笑)

 

 

19歳だった僕(去年)は、留学を決心しました。

大学を休学し、いざ、準備を進めていこう!となった時、最初にぶつかった壁は、

 

 

どこの国いこ・・・?

 

 

いや行きたいとこ行けよ! そんくらい決めとけよ! て声が聞こえてきそうですが(笑)、当時の僕は英語を母国語とする国、で英語を学ぶ事が出来ればどこでも良いと思っていたんです。

 

 

今思えば結構アホですね。(笑)

 

 

しかし、留学のエージェントさんにたくさんの良いアドバイスをもらう内に、学ぶ上での環境の大切さに気づきました。

 

 

自分に合った環境で活動をするのと、劣悪な環境で活動するのとでは、やっぱり効率も違ってくるでしょうし、何より、

 

 

その環境で楽しめるか

 

 

その環境で充実した時間を過ごせるか

 

 

という事は個人的にすごく大事だと思うんですね。

 

 

これについては、全ての人に当てはまる事柄ではないでしょうか。

 

 

僕がこの時学んだ事は、自分が活動する上での環境選びは絶対に妥協しない。という事です。

 

 

今思えばこの時から勉強は始まっていましたね。(笑)

 

 

さて、少し話が逸れました。

 

 

本題ですが、僕がなぜオーストラリアに行ったのか?ということについて書いていこうと思います。

 

 

はじめ、エージェントさんに提案されていたこともあって、実はアメリに行こうとしていたんです。

 

 

アメリカといえば、世界屈指の経済大国、多民族国家、異文化交流の本場、など

多くの人が魅力的な印象を持っているのではないでしょうか。

最近では少し外交面で心配な事が頻繁に起こっていますが。

 

 

で、アメリカのどこか、というと、伝統あり歴史ありの街、ボストン です。

 

 

 

なぜボストンかというと、当時僕はアメリカの歴史に興味があったのと、趣味がスポーツ観戦なので、ボストンはレッドソックスの本拠地ということもあり、エージェントさんが進めてくれたのです。

 

 

また、ボストンにいる日本人の割合もかなり少なかったのも、僕にとって魅力的なポイントの一つでした。

 

日本人割合が少ないと、英語学習にも集中できると思ったので。

 

自分、性格上楽な方に流れていきがちなので、環境で自分を縛る必要があるあなと思ったんです。(笑)

 

自分の意思に頼るよりそっちの方がよっぽど楽だったので(笑)

 

 

 

そして、良いじゃん!と思った僕は、早速ボストンについて調べました。でも留学する上でのデメリットもチラホラあったんですね。物価の高さとか。

 

費用を安く抑えるに越した事はないと思いましたし。

 

 

でも一番僕が気になったところは、

 

 

寒い。

 

 

というところです。

 

 

そう、ボストンはアメリカの東海岸の北に位置しており、年中寒冷な気候だったんです。

 

 

え、気候気にする?と思った方もいらっしゃるかもしれませんが、気候ってものすごい自分に影響するもので、特に僕は冬が嫌いで夏が好きなんですね。寒いのが苦手で。(笑)

 

 

なので、あ、やっぱやめとこ。。。という風に却下されてしまったんです。(笑)

 

 

将来的には行きたいと思っていますけどね。

 

あの有名なマサチューセッツ工科大学で写真を撮るのが夢です。(笑)

 

 

そして、ここで運命の都市と出会います。

 

 

僕が前に述べた特徴を持っていて、かつ暖かいところ、、

 

 

そして、エージェントさんのご協力もあり、ついに見つけました。

 

 

オーストラリアにある、パースです。

 

聞いた事ないという方もいらっしゃると思います。オーストラリアといえば

 

 

メルボルンシドニーなどの大都市が有名ですよね。

 

それらの大都市は基本オーストラリアの東側に位置しています。

 

 

パースはというと、ぽつん、と西海岸にある都市なんです。

 

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地図に赤い丸で囲ってあるところがパースです。

 

 

オーストラリアでは第4の都市と言われているみたいですが、やはりシドニーなどの都市には規模的にかなわないみたいですね。

 

 

ここを選んだ理由はたくさんあるのですが、一番は温暖な気候であり、ビーチがとても綺麗だったという事。

 

 

また、あまり大きすぎず、人が少なめであるというのも良かったところの1つです。

 

 

 

個人的にあまり忙しい雰囲気は苦手だったので。

 

 

うるさすぎず、静かすぎず。まさに僕にぴったりでした。

 

 

今思えば本当にパースを選んで良かったと、心から思います。

 

 

もちろんビーチも綺麗でしたが、何よりそこでたくさんの人と出会いました。

 

 

後々たくさん書いていきますが、その人たちと過ごした時間は本当に宝物です。

 

 

パースを選ばなければ、そいった素晴らしい経験もできなかったわけですから。

 

まあ別の場所に行っててもそれはそれで別にいい経験ができたと思います。

ただ、本当に大切な出会いをたくさんしたものですから、行って良かったと心の底から思います。

 

 

相談に乗ってくれたエージェントさん、家族、自分、出会った仲間たち全ての人に感謝します。ありがとう。

 

 

また少し話が逸れましたね。(笑)

 

 

そんなわけで家族とも話し合い、僕の留学の行き先はパースに決まりました。

 

 

その時はすごくワクワクしていたのを覚えています。

 

 

この先でいい経験を悪い経験も数え切れないほどしていくのですが、それは次回書いていこうと思います。

 

 

最後まで読んでいただいた方、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

19歳の学生がいきなり海外に飛び込んだ結果。PART2

こんにちは。

 

今日は19歳の僕が留学を決心したその後について書いていこうと思います。

 

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前回のブログでも書いたのですが、僕は当時文学部に所属していました。

 

 国際関係の学部なら 留学のコースやプログラムがあったんですが、文学部にはそのようなものはありませんでした。

 

もし留学するなら、休学しなければならなかったんですね。

 

休学するということは、今やっている勉強を一度ストップするということ。よって卒業する時期も遅れます。

 

当時僕は単位もしっかり取得しており、順調に行けば4年で卒業できる予定でした。

 

そこで卒業が遅れるとなると、やはり少し不安がありました。

 

「ここで勉強をストップして、帰ってきた後も一人で頑張れるだろうか?」と。

 

また、留学先の語学学校で単位を取得できる事もなかったので、正直ここで留学するかどうか少し迷いました。

 

今思えば、本当に休学してよかったなと思いますけどね。(笑)

 

ただ、そんなことで躊躇している場合ではないと思いました。

 

向こうで得られる経験は、それ以上に素晴らしいものを自分にもたらしてくれるだろ、と信じることにしました。

 

 

結果その判断は大正解ということになるのですが、まあ結構先の話です。(笑)

 

 

この間アルバイト先の女の子にこう聞かれました。

 

 

「留学したいんですけど、私の学部には留学プログラムがないんです。でも休学するのはなかなか勇気が出なくて、、何かいい方法はないですかね?」と。

 

前の僕とほぼ一緒の状況ですね。

 

 

で、僕は声を大にして言いたい。

 

 

休学して!!!!(笑)

 

いったんやっている事をストップするということは、何も留学しなくても良いことはあります。

 

一度立ち止まることによって、自分の生活を振り返り、じっくり考えることができます。

 

これってかなり大事なことだと僕は思っていて、学生の人だけでなく、全ての人に言えることだと思うんです。

 

今の自分はやりたい事をできているか? 効率的に時間を使えているか?など。

特に時間は過ぎたらもう戻ってきませんから、それについて考えるという事は価値ある事だと個人的には思います。

 

今を目一杯楽しんで充実させている人はそんな事する必要はないと思いますけどね。

 

 

でもやっぱり途中でストップするのって勇気がいりますよね。仕事に関してはお金や家庭の事が絡んでくると思いますし。

 

 

休学経験者が結果論としていうのは簡単ですが、やっぱりその時の葛藤や迷いは本人にしかわからないですから。(笑)

 

 

そのあとは早かったです。休学手続きを済まし、色々な留学エージェント会社(留学や海外生活をサポートしてくれる会社)をまわりました。

 

 

このあたりの作業は個人的にすごく楽しかったですね。全部自分でやらなければならなかったのですが、その分選択肢や自由もたくさんありましたから。

もちろん親と相談しながら。

 

 

今回はこのくらいで終わりたいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

19歳の学生がいきなり海外に飛び込んだ結果。PART1

僕がオーストラリアに留学したのは2018年の9月、大学2年生の時でした。

 

その頃は大学にも慣れ、落ち着いた学生生活を送っていました。

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四条大橋

しかし、同時にこんな事も頻繁に思うようになっていました。それは、

 

何か物足りない、、、

 

毎日1時間以上かけて大学に

行き、同じ講義を受け、アルバイトに行くというルーティーンに退屈さえ感じていたのです。

 

入学前はあれだけワクワクしていたのに、、(笑)

 

そして、ある日急に決心します。

 

よし、海外に行こう!!

 

実は前から海外には憧れていたので、行くなら今だ。と思いました。幸い両親も賛成してくれたんですよね。  

父親に関しては、『大学に入ったら海外にいってもらう。』といっていたくらいでしたから。(笑)

 

そういった意味ではすごく環境に恵まれていたと思います。ありがとう。

 

 

まあこんな感じで海外に行く事を決めたのですが、それからは結構色々な事で悩みました。この事に関しては次のブログで書いていこうと思います。

 

 

で、僕が留学したいと思った理由は大きく分けて3つあります。

 

1つ目は、素直に英語が話せるようになりたいと思ったから。

 

理由は簡単。英語を話せたらカッコいいから。(笑)

僕は一応京都の大学に通っているという事で、外国人の観光客の人達がたくさんいました。

 

で、そうなると必然的に道を尋ねられるわけです。

 

因みにその時の僕の英語力(スピーキング)はというと、

 

YES   か NO

 

の二択でした。(笑)

 

そんなわけで、英語で道を聞かれても満足に答えてあげられませんでした。

それに対して結構フラストレーションもたまっていた事もあり、喋れるようになりたい!と思うようになりました。

 

 

二つ目の理由は、世界中のさまざまな国籍、人種、価値観を持つ人と会話をしたいと思ったからです。

 

自分はこれまでずっと日本で育ってきたので、狭い世界で、それも限られた常識の範囲内で生きてきました。

 

でも世界にはもっと面白い事、人、文化、食べ物など、全く違うものがあって自分にとっては未知のものなんだろうとなんとなく考えていたんですね。

 

ぜひ経験してみたい。そう強く思うようになりました。

 

 

最後の理由は、自立した生活を送れるようになった方がいいと思ったからです。

 

今までずーっと親にくっついてきたわけでしたから、もうすぐ就職もする事だろうし、自分でなんとか困難を乗り越える必要がある。と思ったのです。

いや、わざわざ海外に行かんくてもいいやろ!ってなるかもしれませんが、そっちの方がよりハードルが高かったので。より成長できると思いました。

 

 

そんな感じの理由です。

 

でも海外に行く理由ってぶっちゃけなんでもいいと思うんですよね。楽しそうとか、

カッコいい人、キレイな人が多いいからとかでも。(笑)

 

そのさきで良くも悪くもいい経験ができるのは間違いないですから。

 

 

ただ、目的はしっかりと持っておいた方がいいと思いますけどね。

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。

次回は、留学決心後の現代の学生ならではの悩みや葛藤につて書いていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハタチ大学生、ブログスタート。

日本に帰国して3ヶ月が経ちました。

 

海外にいた頃は全てに必死で、時間など忘れていました。しかし、ここ最近もあっという間に時間が過ぎていくような感じがします。

 

こんにちは。京都の大学に通っているハタチの大学生、タクです。大学生といっても僕は今、留学の影響で大学を休学しています。

 

なので、時間がたくさん出来ました。すると、自分のことについて考える時間が自然と増えたんですよね。そういうわけで、何か新しいことを始めようと思い、ブログを始めました。

 

このブログでは主に僕が海外で経験した貴重な経験、またそこで体験したさまざまなことについて二十歳という低い目線から発信し、多くの人と共有できたらいいなと思います。

 

プロフィールにも書きましたが、たくさんの考え方や価値観を共有することってとても大事だと思うんです。なので、ここでは年齢、性別、全て関係なく色々な人と交流を持てるようにしたいと思ってます。

 

初めてなので全く感覚はつかめてませんが。(笑)

 

多くの読者さんやライターさんと繋がれるのをとても楽しみにしています。

 

すぐに次のブログをアップする予定です!

よろしくお願いします。:)